記録

加奈子のブログ

怒りと悲しみの涙の理由はフェミニズム

ここ数年自分の中のテーマのひとつにフェミニズムジェンダー問題がある。(世の中が話題にしているからではない理由を後に述べます。正確には元々モヤモヤしていたけど世の中に問題が浸透してきたことでこうやって言及しやすくなりました。)

なんとなく自分はフェミニストなんじゃないか?とずっと思い続けてきたけど意識的にディグることをしなかったのでちゃんと向き合っていなかった。"ちゃんと"理解していないと語る資格がないと思っていたからだ。

 

先日、ピピロッティ・リストの展示を観た。(すごくいい作品ばかりだった)

https://www.fashion-press.net/news/70573

こちらをきっかけに改めてフェミニズムなどについて考えざるを得なくなった。

 

 

 

自分自身が女性であることで必然的に性差別的態度や発言をされる機会がこれまでに数えきれないほど多くあった。その度になんとなく空気が悪くならないようにその場をやり過ごし、後でひとりになったときにふと思い出して違和感を持つ。それがやがて怒りや悲しみ、セクハラを一蹴できなかった自分を責めたり、自己嫌悪に発展する。フェミニズムをちゃんと理解しようとする前にこういう事態は唐突にやってくる。

というか、大人になってからフェミニズムという言葉や概念を知ったからまだマシなのかもしれない。ジェンダー教育もないまま幼稚園や学校、組織に放り出された瞬間から性差別に遭い、傷つき、生き抜く術をその度に見つけながらサバイブしなければいけないのだ。可愛いから〜、ブスだから〜、とか女子同士でももちろん、男子や大人が言ってるのも死ぬほど見てきた。自分もたくさん傷ついたはずなのに、思春期の頃は周りに同調するように自分もその話題に参加していたと思う。そういう意味でも自分で周りの環境を選べない学生時代は地獄だと思う。(時代的にも今ほど性差別に対する考え方が慎重ではなかったし一般的に浸透してなかった)

大人になってからフェミニズムを知って、世の中にジェンダー問題が広まってきて、人付き合いや環境も選べるようになってかなり楽になったものの、全員の考え方が変わらない限りは悲しいことにセクハラは絶えない。今年は今までにないタイプの経験がいくつかあった…悲しい。他のジェンダー問題も同様だと思われる。(無謀ですが希望です)

 

書店にジェンダーフェミニズムに該当するエリアがあったので一通り見てみたり、あらかじめ調べて目星をつけていた文献を買って読み始めてみた。

セクハラ発言なんて日常茶飯事すぎて慣れていたけど(慣れるものではない)やっぱりあの違和感は間違ってなかったし、心あたりのありすぎることばかりで、過去に投げかけられた些細な言葉などを思い出して涙がとまらなくなった。言葉を放った相手は覚えてないレベルなのにちゃんと傷ついてるから私は覚えてたし、嫌なことだからなかったことにしようとしてただけで、思い出しただけで自己嫌悪になった。これまでのそういう経験が蓄積かつ「フェミニズムって何?」レベルの私は日頃から"人間が嫌い、特に男性が嫌い"と言っていたけどそれは間違いなんじゃないかと思った。"女性の気持ちを考慮しない発言をする人が嫌い"なんだって当たり前の答えにたどり着く。それはやっぱり自分が予想していたようにフェミニズム的考え方になるんだろうなきっと。

ツイフェミとかミソジニーによってフェミニストであるとカテゴライズされるとそれもそれで生きづらくなりそうだと思って、これまでなんとなく避けてたし向き合っていなかっただけだった。今でも別に大々的に言っていくつもりはないけど、自分の気持ちに素直になると、結局はフェミニズム的な考え方に近いと思う。フェミニストを公表しているアーティストは大体好きだったりする。でも別にこれで"ちゃんと"理解できたつもりもない。

ついでに言うと私は自分の身体や見た目にコンプレックスがあるので外見についてとやかく言われるのも大っ嫌いです。インスタに自撮り載せてるのに?とか散々言われた。(発言には気をつけてくださいね)自分で自分のことはよくわかっててもそれが対他人になった瞬間また別問題になるので慎重に考えなくちゃいけないと思った。